今日はの昼間は初夏を思わせる暖かさでした。ラジオを聞いていると、桜がぼちぼち咲き始めているようですね。今年も桜の季節になったのかと思うと一年が過ぎるのが早過ぎるように感じます。
日々の生活に一杯一杯で時間の早さだけが気になります。『漂泊の思い未だ止まず』と言うか時が何処かで止まって自分だけが取り残されている気分になる事が最近多いように思います。
今日はN.S.Pの『八十八夜』を取り上げたいと思います。

『引き出しの中から あの人の写真 みんな捨ててしまった筈なのに♪』

この楽曲は1978(昭和53)年3月25日に発売されたN.S.Pの13枚目のシングルに収録された楽曲です。この楽曲のB面は『恋は水色涙色 』と言う楽曲で、両面とも作詞、作曲が天野滋さんによる作品です。歌のタイトルにもなっている『八十八夜』とは雑節の一つで、立春から数えて88日目の日の事で毎年5月2日頃の事のようです。
文部省唱歌『茶摘み』に『夏も近づく八十八夜♪』と歌われていますが、『八十八夜』は日本独自の雑節で遅霜が発生する時期であるそうです。その為に、農家の方に対して特に注意を喚起するためにこの雑節が作られたそうです。近年は異常気象が続いていると言われていますが、農家の方は今でも何らかの対策とかされるのでしょうかね。
『こんな夜に あの人の電話 遠くで懐かしさが話しかける♪』

歌の内容は嫁ぐ前日の夜に元彼の事が忘れられない女性の心理状態を歌ったものと言えばよいのでしょうかね。そう言えば風の『22才の別れ』も嫁ぐ前の女性の心理状態を歌ったものでしたが、元彼が忘れられないのに、別の男性の元へ嫁がなければいけないのはどんな理由なのでしょうかね。
どちらの楽曲も一見、元彼が不幸に見えますが、一番不幸なのは別の男性への未練心を持たれたまま、受け入れる男性なのではないかと最近思ったりします。大昔の計略結婚のように、女性側が望まない結婚であれば、3人とも不幸ですよね。それとも、やはり恋愛と結婚は別物なのでしょうかね。
『もうすぐ八十八夜 もうすぐ暖かくなる もうすぐ八十八夜 もうすぐ幸せになる♪』

随分前から、熟年離婚が増えていると言う報道を聞きますが、時代の変化や生活様式の変化なども原因があるのでしょうね。夫婦別姓の問題も随分前から議論されていますが、結婚生活と言うか夫婦の有り方を考え直さないといけない時期に来ているのかも知れません。でも、そうなると従来の法律の色々な部分を見直しをしないといけないところ多そうですよね。
N.S.Pの『八十八夜』はこちらから少しだけ試聴が出来ます。プレ王ではコロ吉様と言う方がコピーされています。この方は何を歌われてもお上手ですよね。プレ王に投稿する為に打ち込んで、何度も録音し直しましたが、自分の歌を客観的に聴いて、昔から上手だとは思っていませんでしたが、こんなに下手糞だとは思いもよりませんでした。
日々の生活に一杯一杯で時間の早さだけが気になります。『漂泊の思い未だ止まず』と言うか時が何処かで止まって自分だけが取り残されている気分になる事が最近多いように思います。
今日はN.S.Pの『八十八夜』を取り上げたいと思います。

『引き出しの中から あの人の写真 みんな捨ててしまった筈なのに♪』

この楽曲は1978(昭和53)年3月25日に発売されたN.S.Pの13枚目のシングルに収録された楽曲です。この楽曲のB面は『恋は水色涙色 』と言う楽曲で、両面とも作詞、作曲が天野滋さんによる作品です。歌のタイトルにもなっている『八十八夜』とは雑節の一つで、立春から数えて88日目の日の事で毎年5月2日頃の事のようです。
文部省唱歌『茶摘み』に『夏も近づく八十八夜♪』と歌われていますが、『八十八夜』は日本独自の雑節で遅霜が発生する時期であるそうです。その為に、農家の方に対して特に注意を喚起するためにこの雑節が作られたそうです。近年は異常気象が続いていると言われていますが、農家の方は今でも何らかの対策とかされるのでしょうかね。
『こんな夜に あの人の電話 遠くで懐かしさが話しかける♪』

歌の内容は嫁ぐ前日の夜に元彼の事が忘れられない女性の心理状態を歌ったものと言えばよいのでしょうかね。そう言えば風の『22才の別れ』も嫁ぐ前の女性の心理状態を歌ったものでしたが、元彼が忘れられないのに、別の男性の元へ嫁がなければいけないのはどんな理由なのでしょうかね。
どちらの楽曲も一見、元彼が不幸に見えますが、一番不幸なのは別の男性への未練心を持たれたまま、受け入れる男性なのではないかと最近思ったりします。大昔の計略結婚のように、女性側が望まない結婚であれば、3人とも不幸ですよね。それとも、やはり恋愛と結婚は別物なのでしょうかね。
『もうすぐ八十八夜 もうすぐ暖かくなる もうすぐ八十八夜 もうすぐ幸せになる♪』

随分前から、熟年離婚が増えていると言う報道を聞きますが、時代の変化や生活様式の変化なども原因があるのでしょうね。夫婦別姓の問題も随分前から議論されていますが、結婚生活と言うか夫婦の有り方を考え直さないといけない時期に来ているのかも知れません。でも、そうなると従来の法律の色々な部分を見直しをしないといけないところ多そうですよね。
N.S.Pの『八十八夜』はこちらから少しだけ試聴が出来ます。プレ王ではコロ吉様と言う方がコピーされています。この方は何を歌われてもお上手ですよね。プレ王に投稿する為に打ち込んで、何度も録音し直しましたが、自分の歌を客観的に聴いて、昔から上手だとは思っていませんでしたが、こんなに下手糞だとは思いもよりませんでした。
![]() | NSPベストセレクション1973~1986 N.S.P (2003/04/16) ヤマハミュージックコミュニケーションズ この商品の詳細を見る |
日付けが変わってしまいましたが、Tonchanさんからのリクエスト第二弾で、さだまさしさんの『飛梅 』を取り上げたいと思います。Tonchanさんリクエスト有難う御座います。

『心字池にかかる三つの赤い橋は ♪ 』

この楽曲は1977(昭和52)年7月25日に発売になったアルバム『風見鶏』に収録された楽曲です。この楽曲は2004年03月25日 と2006年03月08日と2007年01月25日にも取り上げさせて頂いているのですが、今日のはと2007年01月25日の記事に加筆修正を加えて出させて頂きました。
この楽曲は九州の太宰府天満宮を舞台にした歌です。太宰府天満宮に祀られている菅原道真公は899(昌泰)2年に、左大臣・藤原時平と並んで右大臣に任ぜられたのですが、異例の立身出世であったのと894(寛平6)年に遣唐使の廃止を勧めた為に、遣唐使で財を成していた藤原時平らの反発を買い、菅原道真公が醍醐天皇の廃立を画策していると嘘の上奏をされ、無罪の罪で左遷されたようです。
『裏庭を抜けて お石の茶屋へ寄って ♪ 』

菅原道真公は左遷された2年後の903(延喜3)年 に大宰府で59歳の生涯を閉じられています。菅原道真公の没後、京の都では疫病や異常気象など不吉な事が続いたため『菅公の祟り』と恐れられ、これを鎮めるために菅原道真公の墓所の上に社殿を建立したのが太宰府天満宮の始まりだそうです。
菅原道真公の祟りが存在したかどうかは判りませんが、他人を陥れようとすれば、それはやがては自分の身に降りかかって来ると言う事ですよね。現在、日本で多発する嫌な事件や天変地異の類は、痛みに耐えかねて逝った多くの方々の祟りかも知れないと思う事があります。
『大宰府は春 いずれにしても春♪ 』

菅原道真公は大化の改新により制定された国司制度により第四十二代讃岐国司(八八六〜八九〇)となりました。そして 国府(坂出市府中)で政務を執り官舎の有岡館(現在の滝宮天満宮)と橋爪館(高松市上天神)を行き来しておられたそうです。上の画像のうち下から2番目と最後の画像は地元の滝宮天満宮です。
菅原道真公が、59歳で死去したのを悼んで当地に一祠を祀ったのが滝宮天満宮の初めだと言われています。真ん中の画像が滝宮天満宮のお茶屋さんなのですが、 梅が枝餅はメニューにはないようです。前から気になっているのですが香川県の西部に『梅が枝』というお菓子を売られているところがあるのですが、『梅が枝餅』とは別物ようです。
一番上の赤い橋は滝宮天満宮とは無関係で、地元の某公園です。滝宮天満宮には心字池も三つの赤い橋もありません。 残念ながらこの楽曲も試聴サイトは見つけられなかったのですが、プレ王で二組の方がコピーされているのが、こちらとそちらから聴く事が出来ます

『心字池にかかる三つの赤い橋は ♪ 』

この楽曲は1977(昭和52)年7月25日に発売になったアルバム『風見鶏』に収録された楽曲です。この楽曲は2004年03月25日 と2006年03月08日と2007年01月25日にも取り上げさせて頂いているのですが、今日のはと2007年01月25日の記事に加筆修正を加えて出させて頂きました。
この楽曲は九州の太宰府天満宮を舞台にした歌です。太宰府天満宮に祀られている菅原道真公は899(昌泰)2年に、左大臣・藤原時平と並んで右大臣に任ぜられたのですが、異例の立身出世であったのと894(寛平6)年に遣唐使の廃止を勧めた為に、遣唐使で財を成していた藤原時平らの反発を買い、菅原道真公が醍醐天皇の廃立を画策していると嘘の上奏をされ、無罪の罪で左遷されたようです。
『裏庭を抜けて お石の茶屋へ寄って ♪ 』

菅原道真公は左遷された2年後の903(延喜3)年 に大宰府で59歳の生涯を閉じられています。菅原道真公の没後、京の都では疫病や異常気象など不吉な事が続いたため『菅公の祟り』と恐れられ、これを鎮めるために菅原道真公の墓所の上に社殿を建立したのが太宰府天満宮の始まりだそうです。
菅原道真公の祟りが存在したかどうかは判りませんが、他人を陥れようとすれば、それはやがては自分の身に降りかかって来ると言う事ですよね。現在、日本で多発する嫌な事件や天変地異の類は、痛みに耐えかねて逝った多くの方々の祟りかも知れないと思う事があります。
『大宰府は春 いずれにしても春♪ 』

菅原道真公は大化の改新により制定された国司制度により第四十二代讃岐国司(八八六〜八九〇)となりました。そして 国府(坂出市府中)で政務を執り官舎の有岡館(現在の滝宮天満宮)と橋爪館(高松市上天神)を行き来しておられたそうです。上の画像のうち下から2番目と最後の画像は地元の滝宮天満宮です。
菅原道真公が、59歳で死去したのを悼んで当地に一祠を祀ったのが滝宮天満宮の初めだと言われています。真ん中の画像が滝宮天満宮のお茶屋さんなのですが、 梅が枝餅はメニューにはないようです。前から気になっているのですが香川県の西部に『梅が枝』というお菓子を売られているところがあるのですが、『梅が枝餅』とは別物ようです。
一番上の赤い橋は滝宮天満宮とは無関係で、地元の某公園です。滝宮天満宮には心字池も三つの赤い橋もありません。 残念ながらこの楽曲も試聴サイトは見つけられなかったのですが、プレ王で二組の方がコピーされているのが、こちらとそちらから聴く事が出来ます
| 風見鶏 さだまさし (2005/02/23) ワーナーミュージック・ジャパン この商品の詳細を見る |
昨日ほど暑くはないものの、今日も1日良いお天気でしたよね。Tonchanさんからリクエストを頂きましたので、季節外れですが、今日はさださんの『晩鐘』と言う歌を取り上げたいと思います。(この楽曲は楽天で『2004年12月14日』の記事で取り上げさせて頂いているのですが、その時の記事に加筆修正を加えました。 )

『風花がひとひらふたひら君の髪に舞い降りて♪』

この楽曲は1977(昭和52)年7月25日に発売されたアルバム『風見鶏』の一番最後に収録された楽曲で勿論、作詞作曲はさださんによる作品です。このアルバムの中で一番好きな楽曲で、当時家に遊びに来ていた同級生に何度も聴かせて嫌な顔をされた記憶があります。
歌のタイトルである『晩鐘』とは、『夕方に鳴らす寺院・教会などの鐘の音』なのですが、歌には一切その鐘の音は勿論情景すら描かれていません。歌の内容は男女の別れを歌ったもので、別れの原因は女性側の心変わりです。歌詞の中には『あわれ蚊』、『浮浪雲』、『桐一葉』等々寂しさを感じる単語が散りばめられています。タイトルの『晩鐘』も寂しさを体言したものかも知れません。
『哀しみがひとひらふたひら僕の掌に残る♪』

アルバム『風見鶏』のライナーノーツには『季節外れの弱々しい蚊を、古人達は「哀れ蚊」と呼び、手で打ったり、除虫香をたいたり、という事をしなかった、と言います。『粋』などという言葉以前に、我々日本人の生命観を表す、優しい話だと思います。』と書かれています。何時からなのでしょうか、日本人はこんな優しさすら失ったように思います。
続けてライナーノーツには『生きていてこそのこの哀感を、季節を通して語る、我々の祖先の感受性を、僕は美しいと思うのです。喜びであれ、悲しみであれ、衝撃を静かに受け止める姿勢はやっぱり美しいと思います。』と続けられています。何処かの総理が『美しい日本』という言葉を使われましたが、どんどん美しくない日本になっていると思うのは私だけではないと思います。
『君は信号が待ち切れなかっただけ♪』

歌い始めの『風花』は、晴天に、花びらが舞うようにちらつく雪の事ですし、『桐一葉』は桐の葉が落ちるのを見て秋を知ること。衰亡の兆しを感じる事の例えです。さださんの歌には古典から(漢文も含む)取られている言葉が沢山あります。英語を好きになった切っ掛けが洋楽だったと言う方も多いでしょうが、私が国語系統が得意だったのは、さださんの影響が、かなりありました。特に古典は得意中の得意でした。(過去形なので今はどうか判りません。。。)
さださんの歌は素敵です。でも、男性側の立場としてその立場に立った時に同じ気持ちになるかと言えばそうではない歌の方が多いように思います。この楽曲も試聴サイトを見つける事が出来ませんでした。プレ王ではTsune 様という方がコピーされています。

『風花がひとひらふたひら君の髪に舞い降りて♪』

この楽曲は1977(昭和52)年7月25日に発売されたアルバム『風見鶏』の一番最後に収録された楽曲で勿論、作詞作曲はさださんによる作品です。このアルバムの中で一番好きな楽曲で、当時家に遊びに来ていた同級生に何度も聴かせて嫌な顔をされた記憶があります。
歌のタイトルである『晩鐘』とは、『夕方に鳴らす寺院・教会などの鐘の音』なのですが、歌には一切その鐘の音は勿論情景すら描かれていません。歌の内容は男女の別れを歌ったもので、別れの原因は女性側の心変わりです。歌詞の中には『あわれ蚊』、『浮浪雲』、『桐一葉』等々寂しさを感じる単語が散りばめられています。タイトルの『晩鐘』も寂しさを体言したものかも知れません。
『哀しみがひとひらふたひら僕の掌に残る♪』

アルバム『風見鶏』のライナーノーツには『季節外れの弱々しい蚊を、古人達は「哀れ蚊」と呼び、手で打ったり、除虫香をたいたり、という事をしなかった、と言います。『粋』などという言葉以前に、我々日本人の生命観を表す、優しい話だと思います。』と書かれています。何時からなのでしょうか、日本人はこんな優しさすら失ったように思います。
続けてライナーノーツには『生きていてこそのこの哀感を、季節を通して語る、我々の祖先の感受性を、僕は美しいと思うのです。喜びであれ、悲しみであれ、衝撃を静かに受け止める姿勢はやっぱり美しいと思います。』と続けられています。何処かの総理が『美しい日本』という言葉を使われましたが、どんどん美しくない日本になっていると思うのは私だけではないと思います。
『君は信号が待ち切れなかっただけ♪』

歌い始めの『風花』は、晴天に、花びらが舞うようにちらつく雪の事ですし、『桐一葉』は桐の葉が落ちるのを見て秋を知ること。衰亡の兆しを感じる事の例えです。さださんの歌には古典から(漢文も含む)取られている言葉が沢山あります。英語を好きになった切っ掛けが洋楽だったと言う方も多いでしょうが、私が国語系統が得意だったのは、さださんの影響が、かなりありました。特に古典は得意中の得意でした。(過去形なので今はどうか判りません。。。)
さださんの歌は素敵です。でも、男性側の立場としてその立場に立った時に同じ気持ちになるかと言えばそうではない歌の方が多いように思います。この楽曲も試聴サイトを見つける事が出来ませんでした。プレ王ではTsune 様という方がコピーされています。
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今朝方また、奇妙な夢をみました。それは私の目の前を右から左の方向へ歩く人影が見えたので顔をみるとなんと、現在より少しお若い小田和正さんと、鈴木康博さんでした。サインをして頂こうと小田和正さんに話しかけると、先を急いで居られるようでしたが、快く承知して頂けたのです。
しかし!!手持ちの鞄の中をみてもサインをして頂く紙もペンもありませんでした!私の後ろにいた若い女性(夢の中では私の知り合いと言う設定ですが、実在しない人物)が私が紙とペンを探しているうちにサインだけではなく3ショット写真まで撮影して嬉しそうにしているのです。そうこうしているうちにお二人はいそいでいると言う事でその場をさられてしまいました。そこで目が覚めました。
芸能人が出てくる夢と言えば以前、楽天ブログの2006年11月18日の記事で下のような夢の話を書かせて頂きました。
『場所は何処か判らないのですか、女優の安めぐみ さんがライブをされているのを、至近距離で見ていると言うものです。彼女がアコギを弾きながら歌っているのですが、そのギタ−の弦は殆ど切れており、実際は弾いていませんでした。そこまでは良かったのですが、何故かライブ会場が一変して居酒屋に変わってしまいます。何故か私の横に安めぐみさんが座られ、何時の間にか彼女は酒を飲み過ぎてできあがっている状態です。
こちらは、状況が判らず、素面の状態です。横に座った彼女は何故か私に訳の判らない因縁をつけ始めるのです。会話の内容は忘れてしまいましたが、私が非常に困っているところで目が覚めました。実際の彼女はそんなことないのでしょうが、これは何を意味するのでしょうかね?
安めぐみさんのファンの方申し訳ありません。これは、私のみた夢であって、個人的にも素敵な女優さんだと思っていますし、実際の彼女とは無関係ですので、決して彼女を中傷するものではない事をご理解下さい。
芸能人の方が出てくる夢で思い出したのが数年前に見た夢で、私がSMAPのメンバーになっていると言う夢を見た事があります。夢の内容はSMAP×SMAPの番組終了後、反省会をしていると言う内容でした。
仮に私が彼らと同年代であったとしても、100%メンバーになれる訳がないのですが、夢は不思議なもので、自然に、タメ口で話しているのです。なりたいとも思わないし、と言うよりなれる訳がないのですが、夢は不思議ですよね。
SMAPのファンの方申し訳ありません。こんなオッサンが変な夢をみて・・』
芸能人の方が夢に出て来られたのはこの日以来でした。
昔々、これは夢でなく今から15年ほど前に関東の某高速道路のICでTHE ALFEEの坂崎幸之助さんをお見掛けして紙とペンを買い求める為に売店まで行っている間に見失った経験がありますから、小田和正さんと、鈴木康博さんのお二人がその辺の道を普通に歩かれている訳もなく、万が一どころか殆ど可能性がないのに、今日の帰りに色紙とサインペンを買ってしまいました。
しかし!!手持ちの鞄の中をみてもサインをして頂く紙もペンもありませんでした!私の後ろにいた若い女性(夢の中では私の知り合いと言う設定ですが、実在しない人物)が私が紙とペンを探しているうちにサインだけではなく3ショット写真まで撮影して嬉しそうにしているのです。そうこうしているうちにお二人はいそいでいると言う事でその場をさられてしまいました。そこで目が覚めました。
芸能人が出てくる夢と言えば以前、楽天ブログの2006年11月18日の記事で下のような夢の話を書かせて頂きました。
『場所は何処か判らないのですか、女優の安めぐみ さんがライブをされているのを、至近距離で見ていると言うものです。彼女がアコギを弾きながら歌っているのですが、そのギタ−の弦は殆ど切れており、実際は弾いていませんでした。そこまでは良かったのですが、何故かライブ会場が一変して居酒屋に変わってしまいます。何故か私の横に安めぐみさんが座られ、何時の間にか彼女は酒を飲み過ぎてできあがっている状態です。
こちらは、状況が判らず、素面の状態です。横に座った彼女は何故か私に訳の判らない因縁をつけ始めるのです。会話の内容は忘れてしまいましたが、私が非常に困っているところで目が覚めました。実際の彼女はそんなことないのでしょうが、これは何を意味するのでしょうかね?
安めぐみさんのファンの方申し訳ありません。これは、私のみた夢であって、個人的にも素敵な女優さんだと思っていますし、実際の彼女とは無関係ですので、決して彼女を中傷するものではない事をご理解下さい。
芸能人の方が出てくる夢で思い出したのが数年前に見た夢で、私がSMAPのメンバーになっていると言う夢を見た事があります。夢の内容はSMAP×SMAPの番組終了後、反省会をしていると言う内容でした。
仮に私が彼らと同年代であったとしても、100%メンバーになれる訳がないのですが、夢は不思議なもので、自然に、タメ口で話しているのです。なりたいとも思わないし、と言うよりなれる訳がないのですが、夢は不思議ですよね。
SMAPのファンの方申し訳ありません。こんなオッサンが変な夢をみて・・』
芸能人の方が夢に出て来られたのはこの日以来でした。
昔々、これは夢でなく今から15年ほど前に関東の某高速道路のICでTHE ALFEEの坂崎幸之助さんをお見掛けして紙とペンを買い求める為に売店まで行っている間に見失った経験がありますから、小田和正さんと、鈴木康博さんのお二人がその辺の道を普通に歩かれている訳もなく、万が一どころか殆ど可能性がないのに、今日の帰りに色紙とサインペンを買ってしまいました。
俳優の植木等さんが27日午前10時41分に呼吸不全のため、都内の病院でお亡くなりになられたそうです。今朝のラジオやテレビでも報じられていましたから、ご存知の方も多いと思います。楽天のブログの2006年12月25日を加筆修正して今日はハナ肇とクレージーキャッツの 『スーダラ節』 を取り上げたいと思います。
『ちょいと一杯のつもりで飲んでいつの間にやら梯子酒♪ 』

この楽曲はは1961(昭和36)年8月20日に発売されたシングルに収録された楽曲です。この歌のB面は『こりゃシャクだった』と言う楽曲だったようです。両面とも作詞が、この間お亡くなりになられた青島幸男さんによるもので、作曲が萩原哲晶さんによる作品だったようです。
この歌の発売された翌年にこの歌をモチーフにした映画『スーダラ節 わかっちゃいるけどやめられねえ』が公開されたそうです。歌から映画が出来るのも珍しいですよね。この映画の原作は青島幸男さんによるもので主演はこの歌を歌われたクレージーキャッツの方々らしいいです。
『 狙った大穴見事に外れ 頭カッときて最終レース♪ 』

歌に歌われている人物は、大物と言うかいい加減と言うかそんな人物像が歌われています。調べてみると植木等さんは最初この歌の依頼が来た時、歌詞を読まれてお怒りになられてとお断りになられたそうです。では、何故この歌を歌われたかはこちらのサイト様に興味深い事が書かれていました。
このスーダラ節のスーダラが何を意味するのか疑問だったのですが、調べても明確な答えが出てきませんでした。そこで辞書をひくと、梵語で『スードラ(シュードラ)』と言う単語を見つけました。この意味はインドのバルナ(四種姓)で、最下位の身分を意味するそうです。
『 あソレスイスイスーダラダッタ スラスラスイスイスイ♪ 』

このスーダラ節のスーダラが何を意味するのかは作詞をされた青島幸男さんがお亡くなりになられた現在では判らなくなりましたが、梵語の『スードラ(シュードラ)』と言う単語に由来しているのなら興味深いですよね。
この楽曲を取り上げさせて頂いた楽天での記事は植木等さんのお誕生日と言う事で取り上げさせて頂いたのですが、(植木等さんのお誕生日は戸籍上は1927(昭和2)年2月25日ですが、本当は前年の12月25日だそうです。何故2ヶ月もずらしたのだろと思って調べてみると、この前年の1926年は1月1日から12月24日までが、大正15年で、12月25日 から 12月31日までが昭和元年だったそうです。昭和元年は一週間しかなかったのですね)ほんの数ヶ月で今度はお亡くなりになられたと言う事で取り上げさせて頂くとは思いもよりませんでした。
心より植木等さんのご冥福をお祈りしたいと思います。ハナ肇とクレージーキャッツの『スーダラ節』はこちらから少しだけですが試聴が出来ます。
『ちょいと一杯のつもりで飲んでいつの間にやら梯子酒♪ 』

この楽曲はは1961(昭和36)年8月20日に発売されたシングルに収録された楽曲です。この歌のB面は『こりゃシャクだった』と言う楽曲だったようです。両面とも作詞が、この間お亡くなりになられた青島幸男さんによるもので、作曲が萩原哲晶さんによる作品だったようです。
この歌の発売された翌年にこの歌をモチーフにした映画『スーダラ節 わかっちゃいるけどやめられねえ』が公開されたそうです。歌から映画が出来るのも珍しいですよね。この映画の原作は青島幸男さんによるもので主演はこの歌を歌われたクレージーキャッツの方々らしいいです。
『 狙った大穴見事に外れ 頭カッときて最終レース♪ 』

歌に歌われている人物は、大物と言うかいい加減と言うかそんな人物像が歌われています。調べてみると植木等さんは最初この歌の依頼が来た時、歌詞を読まれてお怒りになられてとお断りになられたそうです。では、何故この歌を歌われたかはこちらのサイト様に興味深い事が書かれていました。
このスーダラ節のスーダラが何を意味するのか疑問だったのですが、調べても明確な答えが出てきませんでした。そこで辞書をひくと、梵語で『スードラ(シュードラ)』と言う単語を見つけました。この意味はインドのバルナ(四種姓)で、最下位の身分を意味するそうです。
『 あソレスイスイスーダラダッタ スラスラスイスイスイ♪ 』

このスーダラ節のスーダラが何を意味するのかは作詞をされた青島幸男さんがお亡くなりになられた現在では判らなくなりましたが、梵語の『スードラ(シュードラ)』と言う単語に由来しているのなら興味深いですよね。
この楽曲を取り上げさせて頂いた楽天での記事は植木等さんのお誕生日と言う事で取り上げさせて頂いたのですが、(植木等さんのお誕生日は戸籍上は1927(昭和2)年2月25日ですが、本当は前年の12月25日だそうです。何故2ヶ月もずらしたのだろと思って調べてみると、この前年の1926年は1月1日から12月24日までが、大正15年で、12月25日 から 12月31日までが昭和元年だったそうです。昭和元年は一週間しかなかったのですね)ほんの数ヶ月で今度はお亡くなりになられたと言う事で取り上げさせて頂くとは思いもよりませんでした。
心より植木等さんのご冥福をお祈りしたいと思います。ハナ肇とクレージーキャッツの『スーダラ節』はこちらから少しだけですが試聴が出来ます。
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今日は午後から雨が降る一日でしたが、明日のお天気は良さそうです。今日は清須邦義さんの『愛だけでは』を取り上げたいと思います。

『遠い空の下で 君が眠りにつく頃 僕も部屋の窓を閉じ 灯りを消そう♪』

この楽曲は1981(昭和56)年2月に発売されたシングルに収録された楽曲です。このシングルのB面は『TAXI DRIVER』と言う楽曲です。両面とも作詞、作曲が清須邦義さんによる作品です。松山千春さんのファンの方ならご存知だと思いますが、当時の松山千春さんのアレンジャーとしても有名な方です。
歌詞の内容をご覧頂くとお判り頂けますように、遠距離恋愛の男性の心理を歌ったもので、清須邦義さんが奥様との恋愛時代の事を歌にされたと聞いた事があります。歌詞の内容を読むとプロポーズソングと受け取れない事もないですよね。
『離れ離れの愛は君を泣かせもする 時には二人の夢が君を慰めもするだろう♪』

この楽曲を歌われていた清須邦義さんは1980(昭和55)年1月〜2月と1981(昭和56)年1月〜8月に放送されていたオールナイトニッポン水曜日の第二部のパーソナリティーもされていて、オールナイトニッポンでこの歌を知りました。因みにこの時の第一部のパーソナリティーはタモリさんでしたが、こちらは聞いていませんでした。
タモリさんはキャラ的には嫌いではないのですが、この当時さださまさしさんの事をボロカスによく言われてネタにされていた事があったので、聞かなかった記憶があります。最近では丸くなりましたが、タモリさんも昔は毒舌系のタレントさんでした。人の悪口をネタにされているのに当時は嫌悪感が今以上に強かったです。
『何時か君を迎えに行くそんな時がきっと来る愛だけでは 今は何も出来ない君にはわかってほしい♪』

清須邦義さんの楽曲で言えば1979(昭和54)年11月5日に発売されたシングル『僕の知らぬ間に』も好きな楽曲で、ラジオで知りレコードを買いました。こちらは、『愛だけでは』 とは違い失恋ソングでした。 清須邦義さんは現在音楽プロデューサーをされていて、インターネットのコミュニティサイト「ポレポレ島」の主宰者もされているようです。
この楽曲は『ニッポン放送「オールナイトニッポン」30周年記念 オムニバス CD-BOX ラジオ・ヒット・コレクション』と言うオムニバスには収録されているのですが、 残念ながら試聴サイトを見つける事は出来ませんでした。いつかプレ王でコピーしてみたい歌のひとつです。

『遠い空の下で 君が眠りにつく頃 僕も部屋の窓を閉じ 灯りを消そう♪』

この楽曲は1981(昭和56)年2月に発売されたシングルに収録された楽曲です。このシングルのB面は『TAXI DRIVER』と言う楽曲です。両面とも作詞、作曲が清須邦義さんによる作品です。松山千春さんのファンの方ならご存知だと思いますが、当時の松山千春さんのアレンジャーとしても有名な方です。
歌詞の内容をご覧頂くとお判り頂けますように、遠距離恋愛の男性の心理を歌ったもので、清須邦義さんが奥様との恋愛時代の事を歌にされたと聞いた事があります。歌詞の内容を読むとプロポーズソングと受け取れない事もないですよね。
『離れ離れの愛は君を泣かせもする 時には二人の夢が君を慰めもするだろう♪』

この楽曲を歌われていた清須邦義さんは1980(昭和55)年1月〜2月と1981(昭和56)年1月〜8月に放送されていたオールナイトニッポン水曜日の第二部のパーソナリティーもされていて、オールナイトニッポンでこの歌を知りました。因みにこの時の第一部のパーソナリティーはタモリさんでしたが、こちらは聞いていませんでした。
タモリさんはキャラ的には嫌いではないのですが、この当時さださまさしさんの事をボロカスによく言われてネタにされていた事があったので、聞かなかった記憶があります。最近では丸くなりましたが、タモリさんも昔は毒舌系のタレントさんでした。人の悪口をネタにされているのに当時は嫌悪感が今以上に強かったです。
『何時か君を迎えに行くそんな時がきっと来る愛だけでは 今は何も出来ない君にはわかってほしい♪』

清須邦義さんの楽曲で言えば1979(昭和54)年11月5日に発売されたシングル『僕の知らぬ間に』も好きな楽曲で、ラジオで知りレコードを買いました。こちらは、『愛だけでは』 とは違い失恋ソングでした。 清須邦義さんは現在音楽プロデューサーをされていて、インターネットのコミュニティサイト「ポレポレ島」の主宰者もされているようです。
この楽曲は『ニッポン放送「オールナイトニッポン」30周年記念 オムニバス CD-BOX ラジオ・ヒット・コレクション』と言うオムニバスには収録されているのですが、 残念ながら試聴サイトを見つける事は出来ませんでした。いつかプレ王でコピーしてみたい歌のひとつです。
どう言う闘いになって行くのか判りませんが、ここで少し気分を変えて春なので石野真子さんの『春ラ!ラ!ラ!』を取り上げたいと思います。

『春という字は 三人の日と書きます あなたと私と そして誰の日?♪』

この楽曲は1980(昭和55)年1月1日に発売されたシングルに収録された楽曲で作詞が伊藤アキラさん、作曲が森田公一さんによる作品ですこの楽曲のB面は『恋のジョギング』と言う楽曲でこちらは作詞が松本礼児さん、作曲が幸 耕平さんによる作品です。春になるとよくラジオなどで聴こえて来る楽曲ですよね。
『知泉Wiki』によると『「春」という漢字は、もともと桑の新芽が出る日を表している。』そうです。そして『春の語源は複数あり、特定されていない。』そうですが、流石に 『三人の日』と言う意味ではなさそうです。当たり前ですよね。でも、流行歌でこう歌われるとそう信じて居られる方も居られるかも知れませんよね。
『いつか会いたい人がいる 二度と会えない人もいる 春の香りのせいかしら♪』

歌詞の内容は『私(歌の主人公の女の子)』と『あなた(現在の彼)』と『元彼』の3人で出掛けましょうと言う内容のようです。一見、皆で仲良くと言うのは良さそうですが、有り得ない話ですよね。『私(歌の主人公の女の子)』からすれば両手に花?なのかも知れませんが、自分が今の彼であっても、元彼であっても、何を考えているのだろと言う事になりそうです。
この楽曲につて調べていると、色々な方が同じツッコミをされていました。逆の場合今の彼氏とその元カノの3人で出掛けられるかと聞かれれば、この歌の主人公はどう思うのでしょうかね。3人で仲良くと言うのはある意味、純粋で理想的なのかも知れませんが、現実はそうは行きませんよね。
『三人そろって春の日に三人そろって春ラ!ラ!ラ! 時が流れてゆく前に♪』

当時の事務所の戦略だったのでしょうかね。石野真子さんと言えば『狼なんか怖くない』とか『わたしの首領<ドン>』とかツッコミどころが満載の楽曲が多かったような記憶があります。高校時代の同級生にも熱烈なファンが居られました。、私は特にファンと言う訳でではなかったですが、私より年上の方ですが確かに可愛いかったです。
石野真子さんもその後の人生は決して順風満帆ではなかったように思います。これは芸能人だけに限らず一般の方にも言える事ですよね。人生一歩先は闇かも知れません。私の人生は七転八起ではなく七転八倒だったりしますが・・・ 石野真子 さんの『春ラ!ラ!ラ!』はこちらから少しだけですが試聴が出来ます。

『春という字は 三人の日と書きます あなたと私と そして誰の日?♪』

この楽曲は1980(昭和55)年1月1日に発売されたシングルに収録された楽曲で作詞が伊藤アキラさん、作曲が森田公一さんによる作品ですこの楽曲のB面は『恋のジョギング』と言う楽曲でこちらは作詞が松本礼児さん、作曲が幸 耕平さんによる作品です。春になるとよくラジオなどで聴こえて来る楽曲ですよね。
『知泉Wiki』によると『「春」という漢字は、もともと桑の新芽が出る日を表している。』そうです。そして『春の語源は複数あり、特定されていない。』そうですが、流石に 『三人の日』と言う意味ではなさそうです。当たり前ですよね。でも、流行歌でこう歌われるとそう信じて居られる方も居られるかも知れませんよね。
『いつか会いたい人がいる 二度と会えない人もいる 春の香りのせいかしら♪』

歌詞の内容は『私(歌の主人公の女の子)』と『あなた(現在の彼)』と『元彼』の3人で出掛けましょうと言う内容のようです。一見、皆で仲良くと言うのは良さそうですが、有り得ない話ですよね。『私(歌の主人公の女の子)』からすれば両手に花?なのかも知れませんが、自分が今の彼であっても、元彼であっても、何を考えているのだろと言う事になりそうです。
この楽曲につて調べていると、色々な方が同じツッコミをされていました。逆の場合今の彼氏とその元カノの3人で出掛けられるかと聞かれれば、この歌の主人公はどう思うのでしょうかね。3人で仲良くと言うのはある意味、純粋で理想的なのかも知れませんが、現実はそうは行きませんよね。
『三人そろって春の日に三人そろって春ラ!ラ!ラ! 時が流れてゆく前に♪』

当時の事務所の戦略だったのでしょうかね。石野真子さんと言えば『狼なんか怖くない』とか『わたしの首領<ドン>』とかツッコミどころが満載の楽曲が多かったような記憶があります。高校時代の同級生にも熱烈なファンが居られました。、私は特にファンと言う訳でではなかったですが、私より年上の方ですが確かに可愛いかったです。
石野真子さんもその後の人生は決して順風満帆ではなかったように思います。これは芸能人だけに限らず一般の方にも言える事ですよね。人生一歩先は闇かも知れません。私の人生は七転八起ではなく七転八倒だったりしますが・・・ 石野真子 さんの『春ラ!ラ!ラ!』はこちらから少しだけですが試聴が出来ます。

今朝の事です。出掛ける前に私の2007/03/23(Fri)の『トラックバック考』の記事に頂いた妖気妃様から頂いたコメントを読んでいる時にまた、トラバされている事に気が付きました。まだ、ここの機能を把握しきれて居らず、トラバを停止したつもりでいたのですが、左に表示されないだけで、トラバ自体は停止出来ていなかったのです。
内容は『勉強になりました。それでも人妻が好きなのです』・・・いつもならリンク先を確認して削除するのですが、確認せず速攻削除しました。ついでに、FC2の方にも連絡しておきました。私が以前の記事に書いたように『相手からの苦情が聞こえ難いのかのでも、聞く耳をお持ちで無いのでもなく
確信犯!
と判断させて頂きました。その方が人妻が好きであろうと、その結果社会的批判を受けようともそれは自己責任でされていることでしょうから、他人の私がとやかく言う必要はないのですが、どんな内容を見ず速攻削除したので判断できませんが、私のブログにトラックバックする必要があるのでしょうか?管理している私が
迷惑行為だから止めて欲しい!!
と書いているのにも関わらず、挑発的な行為に及ばれると言う事は、
私への嫌がらせ
と言う事ですよね。どうして、私がこんな事を言うかと言えば、以前、管理しているサイトのひとつの掲示板に情報を寄せて頂いた方が自身のメルアドを載せられたのですが、それが原因で変なメールが大量に送られて来て困ったと言うお叱りを受けた事があるのです。簡単に掲示板にメルアドを載せられたのはその方のネットへの認識の甘さもあるのでしょうが、私の管理責任もあると思います。そのサイトは大人よりお子様が見られる機会が多いものなので、私の認識の甘さもあったと反省しています。
管理責任があると言っても24時間サイトやブログに張り付いておく事は不可能です。トラバにせよコメントにせよ常識ある書き込みをお願いします。そうでなければ、サイトやブログの管理会社に通報しなければいけなくなります。過去にリンクを張らせて頂きましたと書き込みを頂いた方のブログやサイトも確認させて頂いて私が独断で不適切と判断したものはコメントを削除させて頂きました。どうぞ大人の判断で住み分けをお願いする次第です。事と場合によっては、知り合いの弁護士の先生にお願いして法的手段も講じる構えでいます。
前回の記事でやめる事も視野に入れていましたが、今朝の一件で闘う決意をしました。
南こうせつさんの楽曲が続きますが2曲目は『れくいえむ』を取り上げたいと思います。

『さくら草の鉢を抱えて あの人がもう来る頃 僕は庭で君の写真を 陽炎の中燃やしてた♪』

この楽曲は1979(昭和54年)年3月5日発売されたシングルに収録された楽曲です。この楽曲は作詞が阿木耀子さん、作曲が南こうせつさんによる作品です。このシングルのB面は『ソルティー・ドッグ』と言う楽曲で、こちらは南こうせつさん作詞、作曲による作品です。歌詞の横に『ソルティー・ドッグ ウオッカをグレープフルーツジュースで割ったカクテル グラスのふちに塩をつけて飲みます』とご丁寧に説明書きがされています。
歌のタイトルの『れくいえむ』とは 『鎮魂歌』とも表現され辞書をひくと『1、カトリック教会で、死者のためのミサ。典礼文の冒頭語がRequiem(安息を)であるところからいう。2、 1のために作られた楽曲。鎮魂ミサ曲。』と書かれています。亡くなられた方の魂を鎮める歌と言えば良いのでしょうかね。
『二十歳の春二十歳の君季節はめぐって春風が今も僕を悩ませる 生きていたら君はなんて笑うだろう♪』

残念ながら公開された歌詞を見つける事が出来なかったので、歌の内容を簡単に説明すると、新しい彼女が出来て20歳で亡くなった元彼女の写真を焼きながら、『すまないけれど、(新しい彼女の為、)君の写真を焼いて君の事を忘れるよ』と言う男性の気持ちを歌ったもののようです。実際の歌詞の方は後悔とか亡くなった彼女への『すまない』と言う気持ちが前面にでているように思います。
この歌を聴くと二十歳の春に交通事故で亡くなった中学の同級生(♂)の事を思い出してしまいます。彼の訃報を聞いたのは、私が早めに下宿先に戻った今頃の時期だったでしょうか。詳しい事故の状況は地元を離れていたので判らないのですが、彼女とドライブ中の事故で彼女の方は助かったらしいです。男女が逆ですが生き残った彼女もその後苦しまれたでしょうね。
『今火の粉となって空に昇ってゆくよ 君にささげる れくいえむ これが最後になるだろう♪』

彼女の方とは面識がなかったので、彼女がその後どうされたかは存じませんが、幸せになられている事を願うばかりです。年齢が幾つであれ、人ひとりが亡くなると言うのは残った者に様々な影響を与えます。中学時代の同級生で後、二人の同級生が亡くなられています。一人は20歳代後半、結婚したばかり、後一人は30代半ば2人目のお子様が生まれて間もない頃だと記憶しています。
年齢の順番に関わらず、人生は死と隣り合わせです。でも、残された者は明日も生きて行かなければいけません。守る者があれば尚更の事だと思います。亡くなられた方を忘れる事は出来ませんが、せめてその魂が安らかに眠れることを心から祈りたいと思います。残念ながらこの楽曲の試聴は見つける事が出来ませんでしたが、こちらのサイト様ででMIDIが聴けます。

『さくら草の鉢を抱えて あの人がもう来る頃 僕は庭で君の写真を 陽炎の中燃やしてた♪』

この楽曲は1979(昭和54年)年3月5日発売されたシングルに収録された楽曲です。この楽曲は作詞が阿木耀子さん、作曲が南こうせつさんによる作品です。このシングルのB面は『ソルティー・ドッグ』と言う楽曲で、こちらは南こうせつさん作詞、作曲による作品です。歌詞の横に『ソルティー・ドッグ ウオッカをグレープフルーツジュースで割ったカクテル グラスのふちに塩をつけて飲みます』とご丁寧に説明書きがされています。
歌のタイトルの『れくいえむ』とは 『鎮魂歌』とも表現され辞書をひくと『1、カトリック教会で、死者のためのミサ。典礼文の冒頭語がRequiem(安息を)であるところからいう。2、 1のために作られた楽曲。鎮魂ミサ曲。』と書かれています。亡くなられた方の魂を鎮める歌と言えば良いのでしょうかね。
『二十歳の春二十歳の君季節はめぐって春風が今も僕を悩ませる 生きていたら君はなんて笑うだろう♪』

残念ながら公開された歌詞を見つける事が出来なかったので、歌の内容を簡単に説明すると、新しい彼女が出来て20歳で亡くなった元彼女の写真を焼きながら、『すまないけれど、(新しい彼女の為、)君の写真を焼いて君の事を忘れるよ』と言う男性の気持ちを歌ったもののようです。実際の歌詞の方は後悔とか亡くなった彼女への『すまない』と言う気持ちが前面にでているように思います。
この歌を聴くと二十歳の春に交通事故で亡くなった中学の同級生(♂)の事を思い出してしまいます。彼の訃報を聞いたのは、私が早めに下宿先に戻った今頃の時期だったでしょうか。詳しい事故の状況は地元を離れていたので判らないのですが、彼女とドライブ中の事故で彼女の方は助かったらしいです。男女が逆ですが生き残った彼女もその後苦しまれたでしょうね。
『今火の粉となって空に昇ってゆくよ 君にささげる れくいえむ これが最後になるだろう♪』

彼女の方とは面識がなかったので、彼女がその後どうされたかは存じませんが、幸せになられている事を願うばかりです。年齢が幾つであれ、人ひとりが亡くなると言うのは残った者に様々な影響を与えます。中学時代の同級生で後、二人の同級生が亡くなられています。一人は20歳代後半、結婚したばかり、後一人は30代半ば2人目のお子様が生まれて間もない頃だと記憶しています。
年齢の順番に関わらず、人生は死と隣り合わせです。でも、残された者は明日も生きて行かなければいけません。守る者があれば尚更の事だと思います。亡くなられた方を忘れる事は出来ませんが、せめてその魂が安らかに眠れることを心から祈りたいと思います。残念ながらこの楽曲の試聴は見つける事が出来ませんでしたが、こちらのサイト様ででMIDIが聴けます。
今日は午後から晴れて来たものの。午前中は雨模様でした。ラジオを聞いていると石川県で大きな地震が起こり怪我をされる方、亡くなられたかも居られたようです。こればかりはどうする事もできないのでしょうかね。一刻も早い救援とこれ以上の災害が広がらない事を祈りたいと思います。今日の1曲目は南こうせつ さんの『今日は雨』を取り上げたいと思います。

『国道沿いの2階の部屋では 目覚める時に天気がわかる♪』

この楽曲は1976(昭和51)年2月10日に発売されたシングルと1976(昭和51)年3月5日に発売されたアルバム『ねがい』に収録された楽曲で作詞が喜多条忠さん、作曲が南こうせつさんによる作品です。シングルのB面は『たぬき囃子』と言う楽曲でこちらは作詞、作曲が南こうせつさんによる作品です。
この楽曲の発売された前年の1975(昭和50)年4月に かぐや姫が解散していますので、この楽曲は南こうせつさんのソロデビューシングルと言う事になるのでしょうね。その後もかぐや姫は何度か再結成されてはいますが、最初の解散を知った時はショックだった事を記憶しています。
『昨日のコーヒー乾いた部屋では消えゆく星のつらさがわかる♪』

以前、楽天のブログでこの楽曲を取り上げさせて頂いた時は、1976(昭和51)年3月5日に発売されたアルバム『ねがい』に収録された楽曲であると言う事だけで、このシングルの事は書きませんでしたので、ここで訂正させて頂きます。申し訳ありませんでした。
手持ちのシングルのジャケットには\700のシールが張られていますから、レコードの価格が途中で変わった頃だったのかも知れませんね。ジャケット写真には、だまし絵のように手帳を持たれたこうせつさんの写真とそれを持ったこうせつさんの指が写されていて面白い構図になっています。
『寒い胸の中つたって落ちる今日は雨 こんな日は眠ろう眠りたいだけ♪』

お天気の事だし、雨も降らないと困るのですが、何故だか昔から雨の日と言うのは嫌いで、雨に降られると死にたいくらい嫌な気分になるのです。これって記憶にはない幼い頃に何かあったのでしょうかね。それとも前世の記憶がそうさせるのでしょうかね。
『雨』を題材にした楽曲は何故か悲しいものが多かったりします。雨と言うのは人を憂鬱にさせる何かがあるのでしょうかね。雨の日は画像のコアラのように丸まって寝ていたいものです。南こうせつさんの『今日は雨』はこちらから試聴が出来ます。
ねがい / 南こうせつ

『国道沿いの2階の部屋では 目覚める時に天気がわかる♪』

この楽曲は1976(昭和51)年2月10日に発売されたシングルと1976(昭和51)年3月5日に発売されたアルバム『ねがい』に収録された楽曲で作詞が喜多条忠さん、作曲が南こうせつさんによる作品です。シングルのB面は『たぬき囃子』と言う楽曲でこちらは作詞、作曲が南こうせつさんによる作品です。
この楽曲の発売された前年の1975(昭和50)年4月に かぐや姫が解散していますので、この楽曲は南こうせつさんのソロデビューシングルと言う事になるのでしょうね。その後もかぐや姫は何度か再結成されてはいますが、最初の解散を知った時はショックだった事を記憶しています。
『昨日のコーヒー乾いた部屋では消えゆく星のつらさがわかる♪』

以前、楽天のブログでこの楽曲を取り上げさせて頂いた時は、1976(昭和51)年3月5日に発売されたアルバム『ねがい』に収録された楽曲であると言う事だけで、このシングルの事は書きませんでしたので、ここで訂正させて頂きます。申し訳ありませんでした。
手持ちのシングルのジャケットには\700のシールが張られていますから、レコードの価格が途中で変わった頃だったのかも知れませんね。ジャケット写真には、だまし絵のように手帳を持たれたこうせつさんの写真とそれを持ったこうせつさんの指が写されていて面白い構図になっています。
『寒い胸の中つたって落ちる今日は雨 こんな日は眠ろう眠りたいだけ♪』

お天気の事だし、雨も降らないと困るのですが、何故だか昔から雨の日と言うのは嫌いで、雨に降られると死にたいくらい嫌な気分になるのです。これって記憶にはない幼い頃に何かあったのでしょうかね。それとも前世の記憶がそうさせるのでしょうかね。
『雨』を題材にした楽曲は何故か悲しいものが多かったりします。雨と言うのは人を憂鬱にさせる何かがあるのでしょうかね。雨の日は画像のコアラのように丸まって寝ていたいものです。南こうせつさんの『今日は雨』はこちらから試聴が出来ます。
ねがい / 南こうせつ
今日の2曲目は季節を少し戻してふきのとうの『白い冬 』を取り上げたいと思います。

『一人で想う 秋はもう深く 過ぎ去れば 空しく消えた日々♪』

この楽曲は1974(昭和49)年9月21日に発売されたふきのとうのデビューシングルに収録された楽曲で作詞が工藤忠幸さん、作曲が山木康世さんによる作品です。この楽曲を作詞された工藤忠幸さんはふきのとうのお二人とは大学の同窓生で大学のフォークソング研究会で山木康世さんと出会われアマチュア時代の ふきのとうにも在籍されいた方です。
この楽曲のB面は『夕暮れの街』と言う楽曲でこちらは山木康世さん作詞、作曲の作品でこの楽曲は1972(昭和47)年ニッポン放送主催『第三回全国フォーク音楽祭 (バイタリス・フォーク・ビレッジ)』の全国大会で作曲賞を受賞、1973(昭和48)年のヤマハ・ポピュラーソング・コンテスト北海道大会でもこの楽曲で入賞されていたようです。
『一人で暮らす 冬は早や涙 想い出せば 空しく消えた日々♪』

因みにふきのとうが『夕暮れの街』と言う楽曲で作曲賞を受賞された全国フォーク音楽祭 (バイタリス・フォーク・ビレッジ)の第一回目(1971(昭和46)年)グランプリを受賞されたのはチェリッシュで、第二回目(1972(昭和47)年)の入賞者が中島みゆきさん、第四回の作曲賞を受賞されたのが、とんぼちゃんだったようです。
昭和40年代後半から50年代にかけて様々なコンテストが開催されていたようです。この時代は私は小学生なので存在自体も知らなかったのですが、この時代に10代の後半から20代前半の方にとられては『夢』への登竜門が沢山あったのでしょうね。何時しかこの手のコンテストも無くなって行ったようで、それと同時に若者が『夢』を持ち難い時代になったのかも知れません。
『もう忘れた 全て あなたの事は 秋の枯れ葉の中に捨てた ♪』

コンテスト等が沢山あったと言っても現実には叶わなかった方の方が多かったのでしょうが、『チャンス』があるとないとでは目的意識も変わって来るように思います。何時の頃か子供将来なりたい職業が現実的になって来ました。現実的な職業を将来の夢とする事は悪い事ではないですが、それすら叶い難い時代になりそうな事を危惧しています
未だに若者に精神論を叩き込もうとされている大人の方が多いですが、精神論だけで(勿論、時と場合によっては有効だとは思いますが)問題が解決するならそんな簡単な事はないのですが、(私も充分大人なのですが、)私には大人の責任逃れとしか思えない事が多いように思います。ふきのとう の『白い冬 』 はこちらとそちらから少しだけ試聴が出来ます。

『一人で想う 秋はもう深く 過ぎ去れば 空しく消えた日々♪』

この楽曲は1974(昭和49)年9月21日に発売されたふきのとうのデビューシングルに収録された楽曲で作詞が工藤忠幸さん、作曲が山木康世さんによる作品です。この楽曲を作詞された工藤忠幸さんはふきのとうのお二人とは大学の同窓生で大学のフォークソング研究会で山木康世さんと出会われアマチュア時代の ふきのとうにも在籍されいた方です。
この楽曲のB面は『夕暮れの街』と言う楽曲でこちらは山木康世さん作詞、作曲の作品でこの楽曲は1972(昭和47)年ニッポン放送主催『第三回全国フォーク音楽祭 (バイタリス・フォーク・ビレッジ)』の全国大会で作曲賞を受賞、1973(昭和48)年のヤマハ・ポピュラーソング・コンテスト北海道大会でもこの楽曲で入賞されていたようです。
『一人で暮らす 冬は早や涙 想い出せば 空しく消えた日々♪』

因みにふきのとうが『夕暮れの街』と言う楽曲で作曲賞を受賞された全国フォーク音楽祭 (バイタリス・フォーク・ビレッジ)の第一回目(1971(昭和46)年)グランプリを受賞されたのはチェリッシュで、第二回目(1972(昭和47)年)の入賞者が中島みゆきさん、第四回の作曲賞を受賞されたのが、とんぼちゃんだったようです。
昭和40年代後半から50年代にかけて様々なコンテストが開催されていたようです。この時代は私は小学生なので存在自体も知らなかったのですが、この時代に10代の後半から20代前半の方にとられては『夢』への登竜門が沢山あったのでしょうね。何時しかこの手のコンテストも無くなって行ったようで、それと同時に若者が『夢』を持ち難い時代になったのかも知れません。
『もう忘れた 全て あなたの事は 秋の枯れ葉の中に捨てた ♪』

コンテスト等が沢山あったと言っても現実には叶わなかった方の方が多かったのでしょうが、『チャンス』があるとないとでは目的意識も変わって来るように思います。何時の頃か子供将来なりたい職業が現実的になって来ました。現実的な職業を将来の夢とする事は悪い事ではないですが、それすら叶い難い時代になりそうな事を危惧しています
未だに若者に精神論を叩き込もうとされている大人の方が多いですが、精神論だけで(勿論、時と場合によっては有効だとは思いますが)問題が解決するならそんな簡単な事はないのですが、(私も充分大人なのですが、)私には大人の責任逃れとしか思えない事が多いように思います。ふきのとう の『白い冬 』 はこちらとそちらから少しだけ試聴が出来ます。
今日は楽天の2007年01月15日の記事を加筆、訂正してバンバンの、『「いちご白書」をもう一度 』を取り上げようと思います。

『いつか君と行った 映画がまた来る授業を抜け出して 二人で出かけた♪』

この楽曲は1975(昭和50)年8月1日に発売されたシングルに収録された楽曲です。この楽曲の収録されたシングルのB面は『冷たい雨』と言う楽曲で、両面とも作詞、作曲は荒井由実さん(松任谷由実さん)の作品です。この楽曲は当時のオリコンチャート最高1位、75.1万枚の売り上げを記録したようです。
ご存知の方も多いかと思いますが、この楽曲に歌われている『いちご白書』とはジェームズ・クネンさん書かれた同名小説の映画化作品 の事で、1968年の春、米国のコロンビア大学でおきた立てこもった学生を警官と 州兵を排除した事件を元に書かれたもののようです。
『僕は無精ヒゲと 髪を伸ばして学生集会へも 時々出かけた♪ 』

この映画は1970(昭和45)年にスチュアート・ハグマン監督により映画化され、カンヌ映画祭審査員賞を受賞されているようです。この楽曲の主人公は、アメリカの映画に出てくる学園紛争と自分たちの時代に起きた日本の学園紛争を重ねて見られていたのでしょうね。
この楽曲を歌われたフォークグループ『バンバン』は1971(昭和44)年にばんばひろふみさん、今井ひろしさん、高山厳さんの3人で結成されたグループで、その後高山厳さんが脱退され、この楽曲がヒットした時はばんばひろふみさん、今井ひろしさんのお二人でした
『 君も見るだろうか 「いちご白書を二人だけのメモリー どこかでもう一度♪』

この楽曲はビリケンさんとか、鈴木真仁さんとかもカバーされているようなのですが、残念ながら試聴サイトは探す事が出来ませんでした。河村隆一さんもカバーされ熱唱されているのですが、妙に色っぽくて全然違う歌になってしまっています。
バンバンの『 「いちご白書」をもう一度』をはこちらとあちらから少しだけですが試聴ができます。youtubeではこことそこで見ることが出来ます。

『いつか君と行った 映画がまた来る授業を抜け出して 二人で出かけた♪』

この楽曲は1975(昭和50)年8月1日に発売されたシングルに収録された楽曲です。この楽曲の収録されたシングルのB面は『冷たい雨』と言う楽曲で、両面とも作詞、作曲は荒井由実さん(松任谷由実さん)の作品です。この楽曲は当時のオリコンチャート最高1位、75.1万枚の売り上げを記録したようです。
ご存知の方も多いかと思いますが、この楽曲に歌われている『いちご白書』とはジェームズ・クネンさん書かれた同名小説の映画化作品 の事で、1968年の春、米国のコロンビア大学でおきた立てこもった学生を警官と 州兵を排除した事件を元に書かれたもののようです。
『僕は無精ヒゲと 髪を伸ばして学生集会へも 時々出かけた♪ 』

この映画は1970(昭和45)年にスチュアート・ハグマン監督により映画化され、カンヌ映画祭審査員賞を受賞されているようです。この楽曲の主人公は、アメリカの映画に出てくる学園紛争と自分たちの時代に起きた日本の学園紛争を重ねて見られていたのでしょうね。
この楽曲を歌われたフォークグループ『バンバン』は1971(昭和44)年にばんばひろふみさん、今井ひろしさん、高山厳さんの3人で結成されたグループで、その後高山厳さんが脱退され、この楽曲がヒットした時はばんばひろふみさん、今井ひろしさんのお二人でした
『 君も見るだろうか 「いちご白書を二人だけのメモリー どこかでもう一度♪』

この楽曲はビリケンさんとか、鈴木真仁さんとかもカバーされているようなのですが、残念ながら試聴サイトは探す事が出来ませんでした。河村隆一さんもカバーされ熱唱されているのですが、妙に色っぽくて全然違う歌になってしまっています。
バンバンの『 「いちご白書」をもう一度』をはこちらとあちらから少しだけですが試聴ができます。youtubeではこことそこで見ることが出来ます。
今日は 伝書鳩 の『目覚めた時には晴れていた』 を取り上げたいと思います。歌のタイトルは『目覚めた時には晴れていた』 なのに雨の中傘をさして随分寒そうですし、ご機嫌も悪そうですね。^^

『目覚めた時には いつでも晴れている あなたと私の愛の暮らし♪』

この楽曲は1976昭和51)年 6月に発売されたシングルに収録された楽曲で作詞が阿久悠さん、作曲が坂田晃一さんによる作品です。この楽曲は1976昭和51)3月20日〜1976昭和51)5月8日に日本テレビ系列で放映された『二丁目の未亡人は、やせダンプといわれる凄い子連れママ』の主題歌でした。B面は『一人より二人の方が』と言う楽曲で、こちらは作詞が荒木とよひささん、作曲が坂田晃一さんによる作品です。
B面の『一人より二人の方が』と言う楽曲もドラマの挿入歌として使われていたようです。『目覚めた時には晴れていた』 は1元は、1971(昭和46)年1月2日〜3月27日に日本テレビ系列で放送されたテレビドラマ『2丁目3番地』の主題歌として赤い鳥と ビリーバンバンが歌われていたようですが、途中で変わったものか、同時に使われていたかまでは不明です。
『目覚めた時には 晴れてはいるけど 何故だかその後 時には曇る♪』

1972(昭和46)年1月〜3月に同じく日本テレビ系列で放映されたテレビドラマ『3丁目4番地』の主題歌は、ビリーバンバンのヒット曲『さよならをするために』だったようです。赤い鳥と ビリーバンバンが主題歌を歌われていたのが記憶にないのは、私が生まれていなかった 当時、この時間帯のテレビ番組を見せて貰える年齢であったからなのですね。
伝書鳩は男性3人のグループでメンバーは、荒木とよひささん、山口ますひろさん、関田昇介さんor(小川よしあきさん)です。(関田昇介さんと小川よしあきさんは途中でメンバーチェンジされているようなのですが、どちらが結成時のメンバーかは不明です)関田昇介さんと言うとアニメの『はいからさんが通る』の主題歌を歌われていた方なのでしょうかね?それとも同姓同名の別人なおでしょうか?また、新たな謎が出来てしまいました・・・
『これが二人 それが二人 二人の世界ね ル・・・・ ル・・・・♪』

2005年2月9日の楽天の記事でこの楽曲を取り上げさせて頂いた時は判らないことだらけで色々な方に情報を頂きお世話になりました。改めてその時に情報を頂きお世話になりました、是岳葉一言様、とよっち様、小泉ひよ子様この場でもう一度お礼を述べたいと思います。その節はお世話になり有難う御座いました。
伝書鳩の『目覚めた時には晴れていた』はこちらから、 ビリーバンバンの歌われた『目覚めた時には晴れていた』はそちらから少しだけ試聴が出来ます。残念ながら赤い鳥が歌う 『目覚めた時には晴れていた』はレコード化されていないのか、見つける事が出来ませんでした。

『目覚めた時には いつでも晴れている あなたと私の愛の暮らし♪』

この楽曲は1976昭和51)年 6月に発売されたシングルに収録された楽曲で作詞が阿久悠さん、作曲が坂田晃一さんによる作品です。この楽曲は1976昭和51)3月20日〜1976昭和51)5月8日に日本テレビ系列で放映された『二丁目の未亡人は、やせダンプといわれる凄い子連れママ』の主題歌でした。B面は『一人より二人の方が』と言う楽曲で、こちらは作詞が荒木とよひささん、作曲が坂田晃一さんによる作品です。
B面の『一人より二人の方が』と言う楽曲もドラマの挿入歌として使われていたようです。『目覚めた時には晴れていた』 は1元は、1971(昭和46)年1月2日〜3月27日に日本テレビ系列で放送されたテレビドラマ『2丁目3番地』の主題歌として赤い鳥と ビリーバンバンが歌われていたようですが、途中で変わったものか、同時に使われていたかまでは不明です。
『目覚めた時には 晴れてはいるけど 何故だかその後 時には曇る♪』

1972(昭和46)年1月〜3月に同じく日本テレビ系列で放映されたテレビドラマ『3丁目4番地』の主題歌は、ビリーバンバンのヒット曲『さよならをするために』だったようです。赤い鳥と ビリーバンバンが主題歌を歌われていたのが記憶にないのは、
伝書鳩は男性3人のグループでメンバーは、荒木とよひささん、山口ますひろさん、関田昇介さんor(小川よしあきさん)です。(関田昇介さんと小川よしあきさんは途中でメンバーチェンジされているようなのですが、どちらが結成時のメンバーかは不明です)関田昇介さんと言うとアニメの『はいからさんが通る』の主題歌を歌われていた方なのでしょうかね?それとも同姓同名の別人なおでしょうか?また、新たな謎が出来てしまいました・・・
『これが二人 それが二人 二人の世界ね ル・・・・ ル・・・・♪』

2005年2月9日の楽天の記事でこの楽曲を取り上げさせて頂いた時は判らないことだらけで色々な方に情報を頂きお世話になりました。改めてその時に情報を頂きお世話になりました、是岳葉一言様、とよっち様、小泉ひよ子様この場でもう一度お礼を述べたいと思います。その節はお世話になり有難う御座いました。
伝書鳩の『目覚めた時には晴れていた』はこちらから、 ビリーバンバンの歌われた『目覚めた時には晴れていた』はそちらから少しだけ試聴が出来ます。残念ながら赤い鳥が歌う 『目覚めた時には晴れていた』はレコード化されていないのか、見つける事が出来ませんでした。
先ほど頂いていた『トラックバック』のうち一つを削除させて頂きました。『迷惑だったら削除しても構わない』と言うコメントつきだったので、迷惑と言うのではないのですが、削除させて頂きました。丁寧なご挨拶があったので、削除する前に先方にお断りを入れようと飛んだのですが、コメントする所がなかったので、こう言う形で記事にさせて頂きました。 トラバを頂いたのが昨日の日記の『春うらら』 の記事でした。トラバ頂いたものが『春うらら』とか田山雅充さんに関するものであれば・・最大限に譲って記事で書かせて頂いていた高知競馬のハルウララ号に関するものであれば歓迎なのですが、サイトの内容は『競艇の必勝法』・・公営ギャンブルと言う共通項と言われてもかなり苦しいですよね。
私自身もサイトやブログを運営しているので、多くの方に見て頂きたいと思う気持ちは非常に理解出来ます。でも、普通トラバって関連した記事にしませんかね?ジャンルの違う所にトラバしても、かなりの確率で削除されるのがオチだと思います。昨日の記事に書いた通り私自身競馬はおろか競輪、競艇に行った事がありません。はっきり言えば興味がないのです。
ホームページも開設しているので、ご覧になられた方からの情報や質問にお答えする為にメルアドも公開しているのですが、そこに来る99.9%は、艶かしい人妻からの不倫のお誘いであったり、うら若き女性からの交際の申し込みだったりする訳です。これらのメールも日曜日はお休みなのか普段居られないご主人様が居られるからなのか判りませんが激減します。 文章が長々となってしまいましたが、何が言いたいかと言うとターゲットの絞り込めていない勧誘やお誘いは
無駄だし、迷惑ですよ!
と言いたいのです。
営業の手法としてとローラー言って虱潰しに営業をする手法がありますが、マ−ケットが判らない段階での話ならこれも仕方がないと思うのですが、これも一度されたら、ちゃんとデーターと言う形で残しておかないと、迷惑になるだけではなく、結局はご自身の首をしめる事になるのですが、ネットでのトラバとかメールは相手からの苦情が聞こえ難いのか、聞く耳をお持ちで無いのか一向になくなる気配がありません。
仕事や商売でされていて生活がかかっているのかどうかまでは判りませんが、マーケティングを考えられた方が良いと思われます。相手のブログやサイトを見ればそれがどんな所なのか、作られている方がどんな方なのかある程度は推察出来ると思うのですけどね。・・他にも言いたい事は沢山ありますが、結局、無駄でしょうから書きませんけどね・・・
今日は田山雅充さんの『春うらら』を取り上げようと思います。

『みぞれまじりの 春の宵. 二人こたつに くるまって♪』

この楽曲は1976(昭和51)年 2月25日に発売された田山雅充さんのソロ・デビューシングルに収録された楽曲で作詞が最首としみつさん、補作詞が中里綴さん、作曲が田山雅充さんによる作品です。このシングルのB面は『お嫁に行くんだってね』と言う楽曲でこちらは作詞が中里綴さん、作曲が田山雅充さんによる作品です。
この楽曲を歌われた田山雅充さんは コーラスグループ「赤い花」、デュオグループ「たやまと夕子」を経てソロ・デビューされたようです。南沙織さんが歌われてヒットした『人恋しくて』は元々デュオグループ「たやまと夕子」で出されたアルバム「暮れそで暮れない黄昏どきは」に収録されていたのは余り知られていないようです。
『窓を誰かが叩いてる 君はこわごわのぞき込み♪』

南沙織さんの『人恋しくて』のヒットにより注目されて、ソロ・デビューされた形になるのでしょうか?もし、南沙織さんのヒットがなければ、この楽曲もなかったかも知れませんね。人生の転機は何処にあるか判らないものです。実力や才能があったとしてもヒットに繋がるとは限りませんよね。
この楽曲がヒットした年は私は中学生だったのですが、少しHな(当時の私にはかなりHに感じてしまいましたが)この楽曲は当時の私にとってはかなりインパクトのあるものでした。テレビの歌番組で黄色のレイバンのサングラスをかけ、ギターをかき鳴らしながら歌う田山さんの姿が印象的でした。
『二人も一度夢の国 ああ〜ああ〜春うらら♪』

『春うらら』と言えば高知競馬のハルウララ号はどうしているのでしょうかね。私は競馬はおろか競輪も競艇も行った事すらないのですが、数年前にハルウララ号は話題になり映画にもなったようですから、名前だけは聞いた事があります。馬は大きいですが目が可愛いですよね。牛の目も優しくて好きですね。大型草食動物は目が優しいです。
田山雅充さんの『春うらら 』はこちらのサイトのシングル・ジャケットをクリックすると少しだけ試聴が出来ます。プレ王ではお三人の方がコピーされていますが、皆さんこの楽曲です。イントロのエレキの音がまた良いですね。

『みぞれまじりの 春の宵. 二人こたつに くるまって♪』

この楽曲は1976(昭和51)年 2月25日に発売された田山雅充さんのソロ・デビューシングルに収録された楽曲で作詞が最首としみつさん、補作詞が中里綴さん、作曲が田山雅充さんによる作品です。このシングルのB面は『お嫁に行くんだってね』と言う楽曲でこちらは作詞が中里綴さん、作曲が田山雅充さんによる作品です。
この楽曲を歌われた田山雅充さんは コーラスグループ「赤い花」、デュオグループ「たやまと夕子」を経てソロ・デビューされたようです。南沙織さんが歌われてヒットした『人恋しくて』は元々デュオグループ「たやまと夕子」で出されたアルバム「暮れそで暮れない黄昏どきは」に収録されていたのは余り知られていないようです。
『窓を誰かが叩いてる 君はこわごわのぞき込み♪』

南沙織さんの『人恋しくて』のヒットにより注目されて、ソロ・デビューされた形になるのでしょうか?もし、南沙織さんのヒットがなければ、この楽曲もなかったかも知れませんね。人生の転機は何処にあるか判らないものです。実力や才能があったとしてもヒットに繋がるとは限りませんよね。
この楽曲がヒットした年は私は中学生だったのですが、少しHな(当時の私にはかなりHに感じてしまいましたが)この楽曲は当時の私にとってはかなりインパクトのあるものでした。テレビの歌番組で黄色のレイバンのサングラスをかけ、ギターをかき鳴らしながら歌う田山さんの姿が印象的でした。
『二人も一度夢の国 ああ〜ああ〜春うらら♪』

『春うらら』と言えば高知競馬のハルウララ号はどうしているのでしょうかね。私は競馬はおろか競輪も競艇も行った事すらないのですが、数年前にハルウララ号は話題になり映画にもなったようですから、名前だけは聞いた事があります。馬は大きいですが目が可愛いですよね。牛の目も優しくて好きですね。大型草食動物は目が優しいです。
田山雅充さんの『春うらら 』はこちらのサイトのシングル・ジャケットをクリックすると少しだけ試聴が出来ます。プレ王ではお三人の方がコピーされていますが、皆さんこの楽曲です。イントロのエレキの音がまた良いですね。
今日の2曲目は楽天の 2005年2月4日の記事からさださんの『春告鳥』 を取り上げさせて頂きたいと思います。
下の画像はイメージで実際の場所や物とは関係ありません。楽天では素材屋さんからお借りしたものが中心だったのですが、画像検索をすると画像だけが出てくるので余り良くないかと考え、こちらに引っ越しては出来るだけ自前の画像を使うように努めています。本当はその現場で撮影したものがベストなのでしょうが、なかなか難しい問題ですよね。

『衣笠の古寺の侘助椿の たおやかに散りぬるも陽に映えて♪』

この楽曲は1979(昭和54)年4月10日に発売されたアルバム『夢供養』に収録された楽曲で、作詞・作曲はさださんによる作品です。タイトルの春告鳥(はるつげどり)はウグイスの別名です。関係ありませんが、春告魚(はるつげうお)はニシンの別名だそうです。歌の内容は古都京都の春の情景を歌ったもので、美しい言葉が散りばめられています。
一番の歌い出しに出てくる「衣笠の古寺」とは京都市北区にある等持院と言うお寺の事です。等持院は足利将軍家歴代の菩提所となった由緒正しい寺院です。「侘助椿」はツバキの一品種で歌の中では「侘助椿」と書いて『ワビスケ』と読んでいますが、調べてみると正確には「侘助椿」と書いてワビスケツバキと読むそうです。
『化野の古宮の嵯峨竹の ふりしきる葉洩れ陽にきらめいて♪』

二番の歌い出しに出てくる「化野の古宮」は京都市右京区にある野宮神社の事で、野宮神社は紫式部が源氏物語を執筆した所だと言い伝えられているそうです。アルバム「夢供養」のライナーによると野宮神社は正確には化野では無く嵯峨野になるらしいです。学生時代に化野辺りに行きましたが、ガイドブックでみられるような静けさはなく観光客で溢れていました。
元々この楽曲は『化野』と言うタイトルと、テーマで出発したそうなのですが、途中で衣笠山のふもとの寺の椿を歌いたくなって変わったそうです。途中で変わったにせよ、さださんの場合はタイトルとテ−マを予め決め、創作されるのですね。私の場合は思いついたフレーズを元にイメージを膨らませていく事が多いのですが、そこがプロとアマの違いなのかも知れません。と言うかそれ以前に比べる事が間違えていますよね。
『春の夢 朧気に咲き 春の夢 密やかに逝く♪』

この楽曲は初めてさださんが京都を題材にに作られた楽曲だったようです。京都好きなのに書かなかったのは、『余りにも近過ぎて、逆に見えなくなってしまった事ともうひとつは、題材にするには、広過ぎて、多過ぎて、手につかなかった事です』とアルバムのライナーノーツに書かれています。
確かに京都は歌の題材にするには、多いかも知れませんね。作るとしたら地域を限定した方が歌にし易いかも知れません。この楽曲も試聴がないので、プレ王から勝手にリンクさせて頂きます。つんち様と言う方と火星人碧様と言う方がカバーされています。好きな歌のひとつなのでいつかコピーしてみたいものです。
下の画像はイメージで実際の場所や物とは関係ありません。楽天では素材屋さんからお借りしたものが中心だったのですが、画像検索をすると画像だけが出てくるので余り良くないかと考え、こちらに引っ越しては出来るだけ自前の画像を使うように努めています。本当はその現場で撮影したものがベストなのでしょうが、なかなか難しい問題ですよね。

『衣笠の古寺の侘助椿の たおやかに散りぬるも陽に映えて♪』

この楽曲は1979(昭和54)年4月10日に発売されたアルバム『夢供養』に収録された楽曲で、作詞・作曲はさださんによる作品です。タイトルの春告鳥(はるつげどり)はウグイスの別名です。関係ありませんが、春告魚(はるつげうお)はニシンの別名だそうです。歌の内容は古都京都の春の情景を歌ったもので、美しい言葉が散りばめられています。
一番の歌い出しに出てくる「衣笠の古寺」とは京都市北区にある等持院と言うお寺の事です。等持院は足利将軍家歴代の菩提所となった由緒正しい寺院です。「侘助椿」はツバキの一品種で歌の中では「侘助椿」と書いて『ワビスケ』と読んでいますが、調べてみると正確には「侘助椿」と書いてワビスケツバキと読むそうです。
『化野の古宮の嵯峨竹の ふりしきる葉洩れ陽にきらめいて♪』

二番の歌い出しに出てくる「化野の古宮」は京都市右京区にある野宮神社の事で、野宮神社は紫式部が源氏物語を執筆した所だと言い伝えられているそうです。アルバム「夢供養」のライナーによると野宮神社は正確には化野では無く嵯峨野になるらしいです。学生時代に化野辺りに行きましたが、ガイドブックでみられるような静けさはなく観光客で溢れていました。
元々この楽曲は『化野』と言うタイトルと、テーマで出発したそうなのですが、途中で衣笠山のふもとの寺の椿を歌いたくなって変わったそうです。途中で変わったにせよ、さださんの場合はタイトルとテ−マを予め決め、創作されるのですね。私の場合は思いついたフレーズを元にイメージを膨らませていく事が多いのですが、そこがプロとアマの違いなのかも知れません。と言うかそれ以前に比べる事が間違えていますよね。
『春の夢 朧気に咲き 春の夢 密やかに逝く♪』

この楽曲は初めてさださんが京都を題材にに作られた楽曲だったようです。京都好きなのに書かなかったのは、『余りにも近過ぎて、逆に見えなくなってしまった事ともうひとつは、題材にするには、広過ぎて、多過ぎて、手につかなかった事です』とアルバムのライナーノーツに書かれています。
確かに京都は歌の題材にするには、多いかも知れませんね。作るとしたら地域を限定した方が歌にし易いかも知れません。この楽曲も試聴がないので、プレ王から勝手にリンクさせて頂きます。つんち様と言う方と火星人碧様と言う方がカバーされています。好きな歌のひとつなのでいつかコピーしてみたいものです。
今日も1日良いお天気でした。今日は春分の日ですね。風が冷たくても他所のお宅の庭には様々な花が咲いています。今日はふきのとうの『南風の頃』を取り上げたいと思います。

『南風吹いたら流れ曇流れて 本棚の写真帳色褪せて♪』

この楽曲はは1975(昭和50)年2月21日に発売されたふきのとうの第二弾シングルとしてリリースされたシングルに収録された楽曲です。この楽曲は作詞が村上実さん、作曲が山木康世さんによる作品です。このシングルのB面は『雪どけ水』と言う楽曲でこちらは作詞、作曲が山木康世さんによる作品です。
この楽曲はふきのとうのお二人が東京に出て来てから作られた歌のようです。山木さんはアレンジャーの瀬尾一三さんに『アレンジはロボやビージーズ風に』と注文されたそうです。洋楽は疎いのでビージーズは聞いた事があってもロボは聞いた事もなかったです。どんなミュージシャンなのでしょうかね?B面の『雪どけ水』はアマチュア時代から歌われ続けて来られた楽曲だったようです。
『南風吹いたら吹流し流れて本棚の日記帳書き残したまま♪』

この楽曲を作詞された村上実さんについては、存じなかったのですが、2006年11月26日付けの楽天のブログで書かせて頂いた ふきのとうの『冬の雨 』を 取り上げさせて頂いた時にはるのひ1918さんから、『村上実さんというのは、ふきのとうが当時所属していた事務所の社長さんです。これはペンネームのようで、レコードやCDのクレジット等には本名で載っているので、まるで別人がいるかのようです』とお教え頂きました。
はるのひ1918さんその節はお手数をお掛けして申しわけありませんでした。有難う御座います。
手許にある『Guitar songbook ふきのとう 全曲集』をパラパラと確認してみると(見落としがあるかも知れませんが)村上実さん名義の作詞作品はこの楽曲と先日の:『冬の雨 』だけのようです。事務所の社長さんがペンネームで作詞をされるのは珍しいケ−スだと思うのですが、どう言う背景があったのか気になる所です
『僕の背中で想い出がゆらゆら揺れています♪』

Yahooの検索でこの楽曲を検索すると上位の方に私の楽天での2005年10月24日の記事がヒットするのですが、その時の記事はシンプルで詳しい事とか書いていないのですが、上位にヒットすると言う事は内容とヒット数は比例しないと言う事かも知れないですね。記事の内容がそれだけあれば良いのですが無い時は申し訳ない気分になります。
歌の内容は住み慣れた街を離れ、新しい暮らしに馴染もうとする気持ちが歌われています。この歌を聴くと初めて一人暮しを始めた頃の事を思い出します。ふきのとうの『南風の頃』 はこちらで少しだけ試聴が出来ます。

『南風吹いたら流れ曇流れて 本棚の写真帳色褪せて♪』

この楽曲はは1975(昭和50)年2月21日に発売されたふきのとうの第二弾シングルとしてリリースされたシングルに収録された楽曲です。この楽曲は作詞が村上実さん、作曲が山木康世さんによる作品です。このシングルのB面は『雪どけ水』と言う楽曲でこちらは作詞、作曲が山木康世さんによる作品です。
この楽曲はふきのとうのお二人が東京に出て来てから作られた歌のようです。山木さんはアレンジャーの瀬尾一三さんに『アレンジはロボやビージーズ風に』と注文されたそうです。洋楽は疎いのでビージーズは聞いた事があってもロボは聞いた事もなかったです。どんなミュージシャンなのでしょうかね?B面の『雪どけ水』はアマチュア時代から歌われ続けて来られた楽曲だったようです。
『南風吹いたら吹流し流れて本棚の日記帳書き残したまま♪』

この楽曲を作詞された村上実さんについては、存じなかったのですが、2006年11月26日付けの楽天のブログで書かせて頂いた ふきのとうの『冬の雨 』を 取り上げさせて頂いた時にはるのひ1918さんから、『村上実さんというのは、ふきのとうが当時所属していた事務所の社長さんです。これはペンネームのようで、レコードやCDのクレジット等には本名で載っているので、まるで別人がいるかのようです』とお教え頂きました。
はるのひ1918さんその節はお手数をお掛けして申しわけありませんでした。有難う御座います。
手許にある『Guitar songbook ふきのとう 全曲集』をパラパラと確認してみると(見落としがあるかも知れませんが)村上実さん名義の作詞作品はこの楽曲と先日の:『冬の雨 』だけのようです。事務所の社長さんがペンネームで作詞をされるのは珍しいケ−スだと思うのですが、どう言う背景があったのか気になる所です
『僕の背中で想い出がゆらゆら揺れています♪』

Yahooの検索でこの楽曲を検索すると上位の方に私の楽天での2005年10月24日の記事がヒットするのですが、その時の記事はシンプルで詳しい事とか書いていないのですが、上位にヒットすると言う事は内容とヒット数は比例しないと言う事かも知れないですね。記事の内容がそれだけあれば良いのですが無い時は申し訳ない気分になります。
歌の内容は住み慣れた街を離れ、新しい暮らしに馴染もうとする気持ちが歌われています。この歌を聴くと初めて一人暮しを始めた頃の事を思い出します。ふきのとうの『南風の頃』 はこちらで少しだけ試聴が出来ます。

以前の楽天のブログでは、その日にみた『夢』の話をたまに書かせて頂いておりました。今朝久し振りに鮮明な夢を見たのでお話させて頂こうと思います。(因みにジャンル名の『夢どう夜』と言うのは、明治の文豪夏目漱石先生の作品「夢十夜」からのパクリ親父ギャグです)
タイトル通りお客様を自宅にご招待したと言う夢だったのですが、そのお客様はなんとブログで交流させて頂いております妖気妃様でした!!多分、これは私のブログの記事『平家落人伝説と児啼爺』へ妖気妃様から頂いた『何時か、ココのツアーを企画してくれませんかねー。』と言うのが頭にあったからかも知れませんね。
夢のメインは拙宅へ妖気妃様をお招きして色々雑談していると言うものです。時間は何故か真夜中、お客様にお茶でもと思いキッチンに行ったのですが、先ほどまでいたうちの奥さんがいません!夜中に何処へ行ったのかと心配していると、やがて、大きな黒い犬を連れて帰って来ました。聞くと先日注文していた犬が届いたと言う連絡を近くのホーム・センターのペット部門から受けて連れに行っていたと言うのです。
真夜中に店が開いているものかと不思議に思いつつも連れ帰った犬の頭を撫でていました。奥さんは大きい犬を狭い自宅内で飼うつもりでいるのと、私が世話をしなければいけないのかと考えておりました。夢自体は、お招きした妖気妃様の今後の予定を聞いているところで目が覚めました。
と、書くと至ってシンプルな夢なのですが、ブログでは書けそうにないハプニングの数々が間には入っています。何だか久し振りに過激な夢をみてしまいました。^^
しのぶさんが昨日柏原芳恵さんの『花梨』を取り上げられていたので、楽天の2006年04月27日の記事を加筆修正して私も取り上げさせて頂こうと思います。

『幼馴染の貴方に恋を 感じ初めていたのかしら♪』

この楽曲は、1982(昭和57)年10月1日に発売されたシングルに収録された楽曲でB面は『スノーバード』と言う楽曲です。両面とも作詞、作曲が谷村新司さんによるものです。このシングルが発売されたのは芳恵さんの17歳の誕生日でこのシングルから、名前のクレジットが『よしえ』から『芳恵』に変えられたそうです。
芳恵さんの誕生日を意識されたのでしょうね。カップリング曲の『スノーバード』の歌詞には『17歳の羽根のあるビ−ナス』と言う歌詞があります。!『スノーバード』と言うのはは北米のほぼ全土に生息する鳥で冬になると南下してきて、暖かくなると帰るホオジロ科の鳥で『ユキヒメドリ』と言う鳥の事と言われているようです。花の種類にも『スノーバード』と言うのがありますがどこの場合はやっぱ鳥の事でしょうね。
『お元気ですか 手紙がとだえあれから一年がたちます♪』

歌のタイトルになっている『花梨』はバラ科ボケ属の花で花言葉は『努力』、『唯一の恋』だそうです。花梨は秋になると、黄色く熟す実はをつけジャムや果実酒に使われるのに、歌詞で『実らぬ恋』に例えているのかが、不思議だったのですが、調べてみると『クワズナシ(喰わず梨) 』と言う別名があるそうです。生食には向かないと言う事なのでしょうね。
花梨は、寺社の境内に植えられている場合は、アンランジュ(安蘭樹)と呼ばれるそうです。意味が知りたくて『安蘭』で検索したら出て来たのが宝塚歌劇団星組トップ男役安蘭けいさんのことばかりで判らず仕舞いでした。仏教用語から来ているのでしょうが、他の場所なら花梨なのに、寺社の境内に植えられたら名前が変わるのは不思議ですね。
『花梨花梨 実らぬ恋 季節が過ぎても ただ香るだけ♪』

花梨と言えば、地元香川の まんのう町は、花梨の生産地としても知られ、空海により修築された「満濃池」と池の近くには、空海が中国から持ち帰ったとされる花梨の木が現存することから「池とカリンの町」として知られています。
歌の内容は幼馴染の男の子のことを好きになった女の子の話で結局この恋は実らなかったようですが、片想いの女の子の気持ちがよく表現された切ない歌ですね。芳恵さんの『花梨』はここで少しだけ試聴ができます。takimari様と言う方がコピーしているのはそちらで聴けます。 芳恵さんエエわ〜。ホンマ最高〜Chu!(^3^)-☆

『幼馴染の貴方に恋を 感じ初めていたのかしら♪』

この楽曲は、1982(昭和57)年10月1日に発売されたシングルに収録された楽曲でB面は『スノーバード』と言う楽曲です。両面とも作詞、作曲が谷村新司さんによるものです。このシングルが発売されたのは芳恵さんの17歳の誕生日でこのシングルから、名前のクレジットが『よしえ』から『芳恵』に変えられたそうです。
芳恵さんの誕生日を意識されたのでしょうね。カップリング曲の『スノーバード』の歌詞には『17歳の羽根のあるビ−ナス』と言う歌詞があります。!『スノーバード』と言うのはは北米のほぼ全土に生息する鳥で冬になると南下してきて、暖かくなると帰るホオジロ科の鳥で『ユキヒメドリ』と言う鳥の事と言われているようです。花の種類にも『スノーバード』と言うのがありますがどこの場合はやっぱ鳥の事でしょうね。
『お元気ですか 手紙がとだえあれから一年がたちます♪』

歌のタイトルになっている『花梨』はバラ科ボケ属の花で花言葉は『努力』、『唯一の恋』だそうです。花梨は秋になると、黄色く熟す実はをつけジャムや果実酒に使われるのに、歌詞で『実らぬ恋』に例えているのかが、不思議だったのですが、調べてみると『クワズナシ(喰わず梨) 』と言う別名があるそうです。生食には向かないと言う事なのでしょうね。
花梨は、寺社の境内に植えられている場合は、アンランジュ(安蘭樹)と呼ばれるそうです。意味が知りたくて『安蘭』で検索したら出て来たのが宝塚歌劇団星組トップ男役安蘭けいさんのことばかりで判らず仕舞いでした。仏教用語から来ているのでしょうが、他の場所なら花梨なのに、寺社の境内に植えられたら名前が変わるのは不思議ですね。
『花梨花梨 実らぬ恋 季節が過ぎても ただ香るだけ♪』

花梨と言えば、地元香川の まんのう町は、花梨の生産地としても知られ、空海により修築された「満濃池」と池の近くには、空海が中国から持ち帰ったとされる花梨の木が現存することから「池とカリンの町」として知られています。
歌の内容は幼馴染の男の子のことを好きになった女の子の話で結局この恋は実らなかったようですが、片想いの女の子の気持ちがよく表現された切ない歌ですね。芳恵さんの『花梨』はここで少しだけ試聴ができます。takimari様と言う方がコピーしているのはそちらで聴けます。 芳恵さんエエわ〜。ホンマ最高〜Chu!(^3^)-☆
楽天のブログもそろそろ消さないといけないのでしょうが、データーの移管が進捗していない状況です。楽天の方は更新していないので、日々『日記記入率』が下がっている訳ですが、あれってほっておいたら何時かは0%になるのでしょうかね?0%になるのもおかしな話で













