朝晩はそれなりに冷え込むようになりましたが、昼間はまだまだ、暖かい日が続いていますね。今朝の新聞を読むと、来年の1〜3月だったでしょうか?電気料金が大幅に上がるような事が書かれていました。仕方が無い事なのかも知れませんが、これは家庭だけに留まらず、企業の経済活動にも影響する事で、色々な面に悪影響が出てきそうな気がします。
さて、そんな前フリとは何の関係もなく、今日は
伊藤咲子さんの『
木枯しの二人』を取り上げたいと思います。
『
家を出たふたりを 木枯しが追いかけ若すぎる恋だと♪』

この楽曲は1974(昭和49)年12月1日 に発売されてたシングルに収録され、このシングルのB面が『赤ちゃんみたいな女の子』と言う楽曲で両面とも作詞が
阿久 悠さん、作曲が
三木たかし さんによるものです。この楽曲は、オリコンで、最高5位を獲得され、このシングルは27.8万枚を売り上げたようです。
上に引用させて頂いた歌詞からすると、この楽曲の二人は家出をして来たようです。木枯らしが若い恋を批難するする事はないでしょうが、世間の風を比喩されたのでしょうね。この楽曲が発売された時、伊藤咲子さんは16歳ですから、16歳の女の子が男性と駆け落ちしたとなると、現在でも問題になりますよね。
『
噴水も凍える公園の片隅あのひとのマントに くるまってふるえる♪』

この楽曲で一番ひっかかるのが上の歌詞の一部にある『あのひとのマント』です。マントで思い出すのは正義のヒーローか旧制高校の学生が着ていたものなのでしょうか?作詞が阿久 悠さんですから、やはり、バンカラ大学生のマントなのでしょうかね。と言うか、この時代にそんな学生いたのでしょうか?
阿久 悠さんの出身大学がバンカラな学風だったとしても、この1974(昭和49)年にマントをしている時点で時代遅れの気がしないでもないですが、当時はまだそんな学生沢山居られたのでしょうかね?阿久悠さんの学生時代の頃の時代背景なら理解出来ないこともないですが・・・その後の二人がどうなったか気になる所です。
『
もっと強く抱きしめてよ 奪われないように固く固く折れる程♪』

好いた惚れたと幾ら言っても、二人で暮らして行こうと思えばそれなりの経済基盤が必要な訳で、現実を考えれば家を出ると言う行為は余り賢明とは思えないです。仮に家を出たとしても現実問題アパートすら借りる事ができないでしょうね。年齢を誤魔化して住み込みで働く所があれば良いのでしょうが・・・
歌詞に書かれている気持ちは理解できますが、離れない様な接着剤があれば別なのでしょうが現実には難しい問題ですよね。そこが若さゆえの情熱のようなものがあるのかも知れないですね。
伊藤咲子さんの『
木枯しの二人』は
こちらで少しだけ試聴が出来ます。youtubeでは
そこで聴く事が事が出来ます。
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歌唱力のある方でしたよね〜。。
歌いだし
も〜っと つ〜よく だきしめてよ〜
は当時としては衝撃的だったかも。。
このころは
花の中三トリオとか
同じような年頃の少女タレントさんが大活躍でしたね。。
今でも
YouTubeには
この人たちがズラッと並んでいますので
思い出のある方
多いんですね。。
そうですか〜・・16歳でしたか〜。。
こんな夢物語にあこがれる時期も
確かにあるとは思いますが
やっぱり
現実はキビシイですよね。
愛情はあっても
お金がなかったら
どうしようもないこと・・それがシッカリわかった時
愛は甘いばっかりじゃないんだって
納得するんでしょうね。。
>伊藤咲子さん
歌唱力のある方でしたよね〜。。
歌いだし
も〜っと つ〜よく だきしめてよ〜
は当時としては衝撃的だったかも。。
インパクトのある歌い出しですよね。歌唱力がないと歌えない楽曲かも知れません。
>このころは
花の中三トリオとか
同じような年頃の少女タレントさんが大活躍でしたね。。
今でも
YouTubeには
この人たちがズラッと並んでいますので
思い出のある方
多いんですね。。
沢山のアイドルが勢ぞろいですよね。それだけ思いの強さが伝わって来るようです。
>そうですか〜・・16歳でしたか〜。。
こんな夢物語にあこがれる時期も
確かにあるとは思いますが
やっぱり
現実はキビシイですよね。
愛情はあっても
お金がなかったら
どうしようもないこと・・それがシッカリわかった時
愛は甘いばっかりじゃないんだって
納得するんでしょうね。。
ですよね。・・夢は大切だけれど、夢だけでは生きていけないと言う事なのかも知れません。